kikutomo notes
日本語で言えることは日本語で。

「電子書籍の衝撃」続き

5月 24th, 2010 by admin

ということを踏まえて考えると、堀江さんの言う「電子書籍の一形態としてのメルマガ」というのは本当に慧眼だと思います。慧眼でもあるし、それに表現としても美しいと感じるのはやはりセンスに対してでしょうか。

「メルマガによる電子書籍」とか、「メルマガ出版の可能性」など、別の表現に変えてみると根底から意味も変わり、可能性も小さくなってしまいます。出版ではなく書籍、としているのも僕が感じた「書籍の定義」における現状のつまらなさに踏み込んでいる感じがしますし、形態、としているのも同様です。

美術書はどうするんだ、縦書きの方が美しいだろう、などといったつまらない野次を最初から受け付けないような表現の強さを感じます。

そういう意味合いにおいては、佐々木さんが「電子書籍の衝撃」で述べられていることを分析面では非常に興味深く読みましたが、先行きの予測については慧眼とは程遠いと感じてしまいました。ケータイ小説などを引合いに出して「本と読者が織りなす新しいマッチングの世界」とまとめてしまうあたりは、論理的にも少々破綻しているようにすら見えます。

YahooやGoogleといった検索サービスからWeb2.0と言われるようなサービス、mixiやFace Book、Twitterなどを広く総称した「Webの普及および発展」によって小説の書き方、書かれ方が変わった、というだけであって、あくまでもコンテンツが生み出される上で書き手が生きている世の中、背景でしかないように思うからです。

むしろ、西寺さんの「新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書」のようにeditionとversionが同時に変わって行くような書籍を、うまく販売するための仕組みが電子書籍で可能になるのかどうかが僕の関心事であるわけで、そういった今まで不可能だった、もしくは大変に困難だったものをどうやって配信するのかという「先行き」を占う上ではやはり、堀江さんの「電子書籍の一形態としてのメルマガ」という表現にこそヒントがあるような気がするのです。

Posted in 電子書籍

Leave a Comment

Please note: Comment moderation is enabled and may delay your comment. There is no need to resubmit your comment.