kikutomo notes
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作家の役割と、出版社の役割について

5月 28th, 2010 by admin

それにしても、京極さんの発言を思い出す度にさまざまな疑問が頭に浮かび続けています。

小説を書体やレイアウトとの総合的なアートとして捉えているということであれば、例えば視覚障害者が点字で彼の作品を読んでいることを想像したことはないということでしょうか。読み上げソフトを利用して文章を楽しむのは作品の一部しか味わえていないということになってしまうのでしょうか。

もちろん、僕の言いようが「小説」と「書籍」を混同しているように見えることは承知していますが、でも京極さんは小説家であって、彼が言う「書籍」が自作のものであれば「小説」を指していると受け止めることは決して曲解ではないと思うのです。

いや、しかしよくよく記者会見での発言を読み返すと文脈上は「書籍」と「小説」を別のものとして発言されているように読めなくもありません。少なくとも、「出版社がいないと書籍にならない」という発言には「書籍」が物理的な商品を指していることは分かります。ことによれば京極氏はその辺りの定義付けをしっかり行った上で発言されていて、Web用にテキストが起こされる段階でニュアンスが変わったのかもしれません。

だとすれば今度は、講談社の野間省伸氏が価格について返答した部分の発言がひどいと思うのです。電子書籍版の価格が安い理由を尋ねられ、場合にもよるが京極氏はInDesignで原稿を納めてくれるので加工しやすかった、と答えられています。

どうも京極氏にせよ講談社にせよ、それぞれの役割を軽んじている、もしくは誤解しているように思えてなりません。

映画の監督になぞらえて、単独では書籍が成立しないという発言も何だか作家の役割が脚本家かなにかにまで小さくなったように聴こえますし、入稿形態が原価の根拠の一つとなったというような発言も、出版社が書籍の価格に乗せている利益の内訳においてそんなものが重視されているのか、という疑問を感じさせます。森山和道さんがNODEで書かれているだけでもかなりの役割が出版社にはあるはずです。

編集や宣伝に比して、テキストデータ化したり、レイアウトソフトのデータにしたりすることがそんなに大きな手間、コストかと。

作家の方には「紙で読んでもスクリーンで読んでも面白い作品を仕上げた」と言って欲しいし、出版社の方々からは「これからの読書とはかくあるべし、という形を提案してみた」と言って欲しいと思うのは、理想でしかないのでしょうか。

Posted in 出版, 電子書籍

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