kikutomo notes
日本語で言えることは日本語で。

3D映画の向かう先

5月 25th, 2010 by admin

3D版の「アリス・イン・ワンダーランド」を観ました。僕は結局「アバター」を観ていないので、これが3D映画初体験ということになります(大昔のCaptain EOを除いて)。

ジェームス・キャメロンとティム・バートンは3Dに対してまったく違う感覚を持っているようで、いわくバートンは「2Dで撮って要所を3D化すれば視聴者には3Dに見える」という派で、キャメロンは「最初から3Dで撮影すれば後加工が不要」ということらしいです。

撮ろうとする映画が3Dを必要とするかどうかによって、どちらも理にかなっている話ですが、こと「アリス」に限っていえば「本当の」3Dとして撮るよりも、多少粗さを残して無理やり3D化した感が逆に「アリス」の寓話的な世界観に合っていたように感じました。

しかしまあ、結論を言えば映画の3D化には大して意義を感じませんでした。むしろ画面が著しく暗くなるので観づらいし、途中から眼鏡を外して観ていたら色の鮮やかさをはじめとして立体感を犠牲にしても良かった点が多々ありました。

思うには白黒が当たり前だったテレビにカラーが登場した際、誰もが驚きはしたのでしょうが、結局は「色のついたテレビ」でしかなかったはずで、それによって何か世界が変わるようなことが起きたとは思えません。白黒テレビで海の映像を観たら頭の中では青い色を思い浮かべていたわけで、それが実際に青い海として見えるのは現実に近づいたという驚きこそあれ、現実を変えるようなものではなかったと思うのです。

現状の3Dと言われるものが奥行きのある2Dでしかないようにも思うのも同じ理由です。奥行き感がリアルになったり、迫力が増したりするからと言って、視聴者と映画の関係が変わるかと言ったらそうではないかと。まあ、だからこそ同じ作品の3D版と2D版というものが成立しているわけで、今の段階ではそれが当たり前なのかもしれません。

ところで、ピカソやブラックなどが立体派として残した絵画では、対象物を再構築することでモノの裏側を平面で表現することを行いました。奥行きを表現する方法として遠近法などがあるように、キャンバスやスクリーンなどの平面上で立体を表現する際には裏側を表現する技術についても創造の余地があるということです。

そう考えると、近く普及するであろう3Dテレビの使いようというのは、DVDのマルチアングルがシームレスになって自由に視点が選べるような、いわばVRとしての3Dが実現できるのならばかなり面白いかと。サッカーや格闘技を観る際、どちら側から観るかを選択することができたり、ライブ映像を観る際にアリーナ席で観たり、スタンドから観たり、という体験ができるイメージです。どうやって撮影したら実現可能なのか、QTVRのようなファイル形式で優れたものが今は存在しているのか、僕にはまったく想像できませんが。

でもそこまで行けば今度は、立体を平面に抽象化するプロセスでトリックを用いた、エッシャーのだまし絵のようなものが生み出されるかもしれません。奥行きのある映像の中で、水が上から下に向かって流れているところを、視点を逆さまに切り替えてもやはり下に向かって流れているとか。

しかしVRの表現が3D映像を前提とはしていないように、マルチアングル/マルチビューがシームレスに、かつ時間軸と独立して動かせるようになったとしても、それを3Dで観る必要もないわけです。大勢が一つのスクリーンを観る映画のような形態での3Dは、今の方向性のままで品質向上するしかないのかもしれません。

Posted in 3D, 映画

Leave a Comment

Please note: Comment moderation is enabled and may delay your comment. There is no need to resubmit your comment.