その92

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らくだの話が出たので、どうでもいいトリビアを一つ。

先ほどの投稿で、うっかりラクダが「一頭」いたと書いてしまったのだけれど、古くはラクダの数え方が「こぶ」単位だったそうな。ひとこぶラクダが三頭なら「みこぶ」、ふたこぶラクダが二頭なら「よんこぶ」という具合。ふたこぶラクダ一頭は、ひとこぶラクダ二頭に相当するわけで、ふたこぶの方が人気が高かったようだ。

よんこぶ、ろっこぶと所有するラクダが増えると嬉しいことから「よろこぶ」という表現が生まれたわけだけど、その経緯を考えても、偶数のこぶ数、すなわち、ふたこぶラクダの方が人気だったことが伺える。まあ、乗るにも物を載せるにも、ふたこぶの方が扱いやすいから価値が高いのも何となく分かる話ではあるけれど。

ちなみに、ふたこぶラクダを4頭以上を所有するのは富豪以上、いわゆる金持ちの部類だったことになるけれど、それゆえ世界の金持ちに「ヤコブ」というファースト・ネームが多い・・・かどうかは、僕も知りません。

その91

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二十歳の頃、友人が鳥取に行ってきたというので感想を訊くと、「ラクダを見たよ」とのこと。

短い言葉ほど想像力を刺激するもので、広大な砂漠の遥か遠方にラクダが歩いている景色を思い描いた僕は、別の友人と共に鳥取に向かった。

なんでも予約した「ホテル砂丘センター」からはリフトで砂丘に行かれるとのこと。宿に荷物を下ろすと、早速僕らは砂丘を目指した。リフトの所要時間は僅かに5分ほど、ホテル裏の防砂林の上を通過すれば砂丘は目と鼻の先だった。

リフトを降りると、目の前にロープで杭につながれた一頭のラクダ。横の立て看板には「15分2000円」と書かれていた。

紫陽花革命なるものが官邸前で4万人集めたとか、本当は5000人だとか争われている。とかく情報は出す側の精度を云々されるけれど、実際には受け手側のリテラシーによる齟齬の方が大きい。球場で野球を見たり、夏の野外フェスに参加したことがあれば、4万人の人出って感覚的に掴めるものなんだけどね。

首相官邸前のデモの人数を巡る議論から…

その90

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なんだかなあ・・・・遣る瀬無い気持ちだ。

「日本固有の問題」というところは同意できない面もありつつ、
でも一方で、そうなのかもしれないとも思う。

レバーの刺身なんてものを安価で食べようとしてきた結果、
何が起きたかを今一度考えるべきだ。

安く済ませるのが悪いとは言ってないよ。高いものを安く食べようとするなということでしょ。金を払うのがイヤなら、大人しく安い肉を買えと。危なっかしい肉に十分火を通してから食べればいいじゃないか。

NO MUSIC, NO LIFEなんてプリントされたTシャツを着ている者たちよ。
そんなに大事なものなら、死ぬ気で働いて金をつぎ込みなさい。
身を削って稼いだ金で音楽を買いなさい。

ほんと、NO LIFEなんて軽々しく言うものじゃないね。

音楽家が音楽を諦める時

その89

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この問題は、佐々木俊尚氏やイケダハヤト氏の言動にも共通して潜んでいる。

自分たちへの批判を、何かと世代間闘争や、匿名の野次馬との闘いに落とし込むことで、自分達は時代の先を行き過ぎて旧態依然とした人間に批判されているような役を演じているけれど、一方では本当に世の中を変えようとしている人の邪魔をしていることに無自覚過ぎる。

こんなことは安保闘争の頃にだって既に存在していた問題で、「行動しないよりはする方がいい」という破壊的なロジックを掲げた人間の行動と、それがお墨付きを与えてしまった弾圧のお陰で地道な努力を無にされた人がどれだけいたことか。

そういう意味では佐々木氏やイケダ尊師などはむしろ、今時からしたら古いタイプの困った人間でもあるわけで、いわば70年代プログレッシブ・ロックを無自覚に継承することが、今時ならどこまでプログレッシブと言えるか、という論点に近い。

目に見える行動だけが行動じゃない、と、そろそろ気づいてほしい。

その88

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ちなみにBは「支援される子供に危険が及ぶことへの配慮」や、「デリケートなバランスで積み重ねて来た既存の支援活動に対する弊害」だったり。それに対してCは「確認の足りなさ」や、「やり方の稚拙に対する認識」。

Bが機能で、Cは実装で、とかいう違いもさることながら、一番の問題は、家入さんが性悪説に偏り過ぎていることだと思う。なぜ殊更にAを叫ぶのかといえば、A自体も否定されているからというのかもしれないけど、例えばtwitterだけ見ても日本のアカウントが3000万とかあるわけで。

Aを否定する意見を1万件なり読んだとしても、0.03%くらいの話。むしろAには肯定的な人がBという批判を加える意味、つまり、志を同じくする人の意見、をもっと真摯に考えないのはなぜなのか。そこが一番の問題だと思う。

真っ当な相手だけ見たら、誰もAを否定してはいないし、Cを責めてもいない。おかしな連中に拘泥する暇があったらBについて真剣に考えたらどうだろう。

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